精霊流しの一脈の澪《ミヲ》

精霊流しの一脈の澪《ミヲ》を伝うて行くと、七夕の篠《サヽ》や、上巳の雛に逢着する。五月の鯉幟も髯籠の転化である。昔京の大原で、正月の門飾りには、竹と竹とに標《シ》め縄《ナハ》をわたして、其に農具を吊り懸けたものだと云ふ。此は七夕は勿論、盂蘭盆にも通じた形式で、地方によつては、仏壇の前に二本の竹をたて、引き渡した麻縄に畑の作物を吊つて居る。門松ばかりが春を迎ふる門飾りではなかつた。古くはかの常盤木をも立て栄《ハヤ》した事は証拠がある。標山《シメヤマ》を作つて神を迎へるのに、必しも松ばかりに限らなかつたものと見える。但、門松に添へた梅は贅物で、剥ぎ竹は年占のにう木[#「にう木」に傍線]の本意の忘れられたものといふべきだ。近世の門松は根方に盛り砂をする。盛り砂・立て砂は、祭礼にも葬式にも、貴人の御成りに盛り立てる。実は標山《シメヤマ》の信仰の忘れられた世に残つた記念《カタミ》である。かう書いて来ると、神祇・釈教・恋・無常、凡そ一年中の行事は、あらかた一元に帰する様である。鬼の休みの盆から説きおこした話は、鬼の笑ふ来年の正月の事まで蔓がのびた。

 土佐の侍で大塚と云う者があった。格はお馬廻り位であったらしいがたしかなことは判らない。その大塚は至って殺生好きで、狩猟期になると何時も銃を肩にして出かけて往った。 某日《あるひ》それは晴れた秋の午後であった。雑木の紅葉した山裾を廻って唯《と》ある谷へ往った。薩摩藷などを植えた切畑が谷の入口に見えていた。大塚はその山畑の間の小径を通って、色づいた雑木に夕陽の燃えついたように見える谷の窪地の方へ往こうとした。 一匹の灰色の兎が草の中から飛びだして大塚の前を横切って走った。獲物を見つけた大塚は、肩にしていた銃をそそくさとおろして撃とうとしたが、兎は何処へ往ったかもう見えなかった。大塚は銃を控えて右を見たり左を見たり、また木の下方を透しなどしたが、兎はとうとう見つからなかった。(折角の獲物を逃がしてしまった、何か一つ大きなものを獲りたいぞ)

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