音頭取りを中心として

盆踊りは、何故音頭取りを中心として、其周囲に大きな輪を描いて廻るのであらうといふ事を考へて来ると、其処に天の御柱廻りの形式の遺存してゐる事を感じる。伊勢の阪の下の踊りは、盆の月夜にも、音頭取りが雨傘を拡げて立つといふ。一寸考へて見ると、不思議な様であるが、此話を最初から、注意深く読んで下さつた諸君は、ある黙会を得られた事と思ふ。即、此は花傘であり、髯籠であり、同時に田楽能の傘である。切明《キリアケ》の神事の花竿持ち、盆踊りの音頭とりは、神々のよりまし[#「よりまし」に傍線]であつたものであらう。我々の推測は、更に百万遍や、幼遊びのなかのなかの小房主[#「なかのなかの小房主」に傍線]にも、又御柱廻りの遺風を見るのである。盆踊りの輪形《ワナリ》に廻るのは、中央に柱のあつた事を暗示するのは勿論であるが、時代によつては、高燈籠なり切籠燈籠なりを立てた事もあつたらしい。此等の燈籠が我々の軒端に移つたのも其後の事であらう。踊りに被《カツ》ぐ花笠も、依代の本意を忘れて、めい/\に被いだまゝで、自然導かるべき問題は、切明の神事と盆踊りとの関係である。地方々々によつて、盆踊りに立てる髯籠系統の柱・竿は、夏祭りのものと混同せられてゐる。祭りと盆との期日の接近といふ、唯一の理由を以て判断して了へばそれ迄であるが、初めに述べた大祓《オホハラ》へと盆との関係を根柢に持つてかゝらねば、隈ない理会は得られぬであらう。罪と穢れの祓除が、救懸倒苦《クケンタウク》の盂蘭盆と、密接な関係を持つてゐる事は云ふ迄もない。最忌むべき精霊が、神々の守護警戒のゆるむ時を窺うて、此夜来るのは勿論で、偉大なる力を離れては、まんじりともする事の出来ない無力な人間たちは、精進・潔斎、ひたすら、邪神・悪魔のつけ入ることの出来ない様にして居ねばならぬのだ。庚申待《カウシンマ》ち・甲子待《カフシマ》ちなどは、恐らくこゝに起原があるのであらう。それでも単に自分の努力一つでは、目に見えぬ邪神のつけ入るのを避ける事のむづかしさを知つた時に、神仏の庭に集つて、神聖な場所で、暫くでも安心な夜を過さうとする。此は一郷《イツキヤウ》精進と称すべきもので、附属条件として、大原の雑魚寝《ザコネ》・筑波の※[#「女+櫂のつくり」、第3水準1-15-93]歌会《カヾヒ》などの雑婚の風習が伴つて来る。が一方には、厳重に此夜みとのまぐあひ[#「みとのまぐあひ」に傍線]を行ふ事を禁じてゐるものもある。庚申待ちの盗孕《タウヨウ》、泉北郡|百舌鳥《モズ》村の暮から正月三日へかけての、百舌鳥精進のやうなのが此である。此は禁欲を強《シ》ふる仏道・儒教の影響があるのではないかと思ふ。単純に此点ばかりから見れば、地方の青年会が盆踊りを禁じたのは、祖先に対する一種面白い謀叛である。我々は歌垣或は※[#「女+櫂のつくり」、第3水準1-15-93]歌会を以て、盆踊りの直系の祖といふ様な、粗忽な事を云ひたくない。たゞ其間に、遠縁の続きあひを見る事が出来れば沢山である。

— posted by id at 09:13 am  

T: Y: ALL: Online:
Created in 0.0685 sec.

http://interblue.jp/