京の祇園の鉾を見たもの

     四 だいがく[#「だいがく」に傍線]とひげこ[#「ひげこ」に傍線]と

さて、日の神の肖像としては、どういふものを立てるか。茲に私は、自分に最因縁深い木津のだいがく[#「だいがく」に傍線]についてお話しをしたい。京の祇園の鉾を見たものは、形の類似から直ちに、其模倣だと信ずるかも知れぬが、だいがく[#「だいがく」に傍線]と同型のものゝ分布してゐる地方の広い点から見ると、決して五十年百年以来の模倣とは思はれない。先づ方一間、高さ一間位の木枠《キワク》を縦横に貫いて、緯棒《ヌキボウ》を組み合せ、其枠の真中の、上下に開いた穴に経棒《タテボウ》を立てる。柱の長さは電信柱の二倍はあらう。上にはほこ[#「ほこ」に傍線]と称へて、祇園会のものと同じく、赤地の袋で山形を作つた下に、ひげこ[#「ひげこ」に傍線]と言うて、径《サシワタシ》一丈あまりの車の輪の様な※[#「車+罔」、第3水準1-92-45]《オホワ》に、数多の竹の輻《ヤ》の放射したものに、天幕を一重或は二重にとりつけ、其陰に祇園巴《ギヲントモヱ》の紋のついた守り袋を垂《サ》げ、更に其下に三尺ほどづゝ間を隔てゝ、十数本の緯棒《ヌキボウ》を通し、赤・緑・紺・黄などゝけば/\しく彩つた無数の提燈を幾段にも懸け連ねる。夜に入ると、此に蝋燭を入れて、夜空に華かな曲線を漂し出すと、骨髄まで郷土の匂ひの沁み込んだ里の男女は、心も空に浮れ歩く。其柱の先には、前に述べただし[#「だし」に傍線]を挿すのである。さて此ひげこ[#「ひげこ」に傍線]と称するものに注意を願ひたい。ひげこ[#「ひげこ」に傍線]とは髯籠《ヒゲコ》である。今日菓物類の贈答に用ゐる籠の、竹の長く編み余したものが本である。だいがく[#「だいがく」に傍線]の簡単なものには、ひげこ[#「ひげこ」に傍線]は轂《コシキ》から八方に幾本となく放射した御祖師花《オソシバナ》(東京のふぢばな[#「ふぢばな」に傍線])の飾りをつけてゐるものもある。今のだいがく[#「だいがく」に傍線]は紙花を棄て、輪をとりつけ、天幕を吊りかけて、名ばかり昔ながらの髯籠と称へて居るのである。紀州|粉河《コカハ》の祭りに牽き出す山車の柱の先には、偉大な髯籠をとりつける。東京の祭りに担ぎ出す万度燈《マンドウ》は、御祖師花の類を繖状に放射させてゐる。本門寺会式の万度燈には、雪の山の動き出すかとばかり、御祖師花を垂れたものを見る。木津の故老たちが、ひげこ[#「ひげこ」に傍線]は日の子の意で、日の神の姿を写したものだと伝へてゐるのは、単に民間語原説として、軽々に看過すべきものではない。其語原の当否はともかくも、語原的説明を仮つて復活した前代生活の記憶には、大きな意味を認めねばならぬ。籠は即、太陽神を象《カタド》り、髯は後光を象徴したものといふ次第なのである。平安朝の貴族社会に用ゐられた髯籠は、容れ物としての外に、既に花籠の意味を持つてゐたらしく思はれる。

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