神道の進んで行くある時期

     三

神道の進んで行くある時期に、魂の信仰が、神の信仰になつて行つた事がある。昔は、神ばかり居たのではない。精霊が居て、此が向上し、次第に位を授けられて、神になつたものと、霊魂なるもつと尊い神とがあつた。其形が、断篇的に、今日の風俗伝説に残つて居る。其時期に、古代には尠くとも、神が海なら海、河なら河を溯つて来て、其辺りの聖なる壇上に待ちかまへて居る処女の所へ来る。其時聖なる処女は機を織つて居るのが常であつたらしい。此処女が、棚機《タナバタ》つ女《メ》である。此形は、魂の信仰が、神の形に考へられたのである。夏に神が来る。――夏の末、秋の初めに神が来ると考へたのは、日本神道の上でも新しいものである。と言うても、わが国家組織のまとまるか、まとまらない頃のものであらう。此時期に、吾々の民間に残つて居る、注意すべき事は、処女どもの、一所に集つて物忌みする事である。今日でも、地方々々に残つては居るが大抵は形式化して、やらねば何となく気が済まぬからと言ふ様な気分で、形式だけを行うて居る。此を或地方では、盆釜《ボンガマ》と言ふ。地方には、其時だけ村の少女許り集つて、一个所に竈を築いて遊ぶ事が、今も残つて居る。此が実は、所謂まゝごと[#「まゝごと」に傍線]の初めである。日本人は、隔離して生活する時には、別な竈を作つて、そこで飯を焚くのが常である。盆釜は、うなゐ[#「うなゐ」に傍線]・めざし[#「めざし」に傍線]等と称せられる年頃のともがらが、別に竈を造つて、物を煮焚きして食べる。此時に、小さい男の児たちが、其を毀しに行つて喜ぶ様な事が行はれて居る。盆釜と同じもので、春には、男の児等が鳥小屋を作つて、籠ることがある。此は、男の児が、くなど[#「くなど」に傍線]に奉仕する物忌みなのである。盆釜とは、幼女の、処女の仲間入りする為のものである。此に対して、田植ゑに先だつて、処女が山籠りをする行事は、処女から、成熟した女になる式である。即、日本では、子供から男・女になるまでに、式が二度あつた。男の方では、袴着の式――謂はゞ褌始めである。女の方では、今言うた裳着の式――腰巻始めとでも言うたらよいか。其裳着の式が二度ある。少女の時と、成熟した女になる時の式とである。併し此は、一度にしたりする事があるから、一概に言へぬが、まづ二度行はれるのがほんとうである。此式は、田植ゑの一月前、処女が山籠りをするので、躑躅の枝を翳して来るのが其標である。此が早処女《サウトメ》となつて、田植ゑの行事をするのだ。此以前に行はれるのが、盆釜と言はれる式で、即、早処女になる以前の成女戒である。此は、別のものか同じものか訣らぬが、私は、年に二度行はれたものと考へて居る。盆釜に籠る間は、短くなつて居るが、実は長いものであつた。卯月の山籠りも同じで、近頃では、僅かに一日しか籠らない。かう言ふ風に段々短くなつて来て居るが、一日では意味が訣らぬものである。禊ぎをする時は一日でよいが、神に仕へる時は長かつたもので、其を形式化して行うて居るのであらう。室町から徳川へ入る頃ほひから、少女の間に盛んになつたものに、小町踊りがある。男の方に業平踊りがあるから、其に対立したものであると言はれて居るが、其とは別なものである。小町踊りは、少女等が手をつないで行つて、ある場所で踊る踊りである。私が大阪で育つた頃、まだ遠国《ヲンゴク》歌を歌つて、小娘達が町を練り歩いて居た。此は盆の踊りの一つである。小町踊りと言ふのが此総名で、此踊りの為に日本の近世芸術は、一大飛躍を起して来たのだ。さうして、徳川初期の小唄の発達・組み歌の発達と相協うて居る。娘達の盆釜の行事は、かうした種々のものを生み出して来た。

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